6億4800万円の不動産詐欺――弁護士は責任あり、司法書士は責任なし。東京地裁は何を分けたのか
2026/08/11
不動産の所有者になりすました人物が現れ、偽造された書類を使って約6億5000万円もの売買代金が動いた不動産詐欺事件があります。
この取引では、所有権移転登記が2件の「連件申請」として行われました。
前件登記を担当したのは弁護士、後件登記を担当したのは司法書士です。
しかも、後件担当の司法書士は、決済前の確認の場で、同じ所有者について生年の異なる2通の印鑑登録証明書が存在するという異常に気付いていました。
それでも、第一審の東京地方裁判所は、前件担当の弁護士には6億4800万円の損害賠償責任を認める一方、後件担当の司法書士に対する請求は棄却しました。
不審点に気付いていたのであれば、司法書士にも責任があるのではないか――。
この事件は、専門家の責任が「事故が起きた」「怪しい点があった」という結果だけで決まるものではなく、誰が、何を依頼され、どの立場で、どこまで確認する役割を負っていたのかによって変わり得ることをよく示しています。
今回は、この事件について最初に判断した東京地裁平成29年11月14日判決を取り上げます。
なお、この司法書士の責任については、その後の東京高裁、最高裁、さらに差戻後の東京高裁まで判断が続きます。本記事では、まず第一審がどのように考えたのかに絞って見ていきます。
3つの売買と2つの登記――複雑な取引構造
まず、事件の構造を整理します。
判決では人物・会社が匿名化されていますので、ここでは分かりやすく、
- 登記上の所有者
- 中間会社
- 原告X
- 転売先会社
として説明します。
取引上は、次の3段階の売買契約が組まれていました。
登記上の所有者
↓ 第1売買
中間会社
↓ 第2売買
原告X
↓ 第3売買
転売先会社
原告Xは、中間会社から本件不動産を6億5000万円で買い受ける契約を締結し、さらに転売先会社へ6億8100万円で売却する契約を締結していました。
ところが、登記は3段階ではありません。
原告Xへの所有権移転登記を省略して、
前件登記:登記上の所有者 → 中間会社
後件登記:中間会社 → 転売先会社
という2件の所有権移転登記を、連件申請として同時に行うことになりました。
前件の登記申請を担当したのが弁護士、後件を担当したのが司法書士でした。
ここで重要なのは、原告Xは実際の売買では中間に存在しているものの、後件登記の登記権利者でも登記義務者でもないという点です。
この特殊な位置関係が、後に最高裁まで争われる重要な問題になります。
所有者を名乗った人物は偽物だった
取引の前提そのものが偽りでした。
登記上の所有者本人として取引に現れていた人物は、実際には本人ではなく、所有者になりすました人物でした。
そして、本人確認や登記申請のために提示された書類にも、複数の異常がありました。
特に問題となったのが、所有者名義の2通の印鑑登録証明書です。
1通には生年が大正15年と記載され、もう1通には大正13年と記載されていました。
発行日も連続する別の日です。
同一人物の印鑑登録証明書なのに、生年が違う。
しかも、関係者がこれらをコピーしたところ、正規の印鑑登録証明書であればコピー時に表示されるはずの「複写」の文字が確認できませんでした。
さらに、第一審判決では、所有者名義の旅券も偽造されたものであったと認定されています。
旅券の表面に記載された生年月日と機械読取部分の生年月日に食い違いがあるなどの問題があり、前件申請に添付された委任状の署名についても、以前提出されていた所有者名義の書類の署名とは一見して異なるものだったと認定されています。
最終的に、前件登記申請に使われた印鑑登録証明書が偽造されたものであることが判明し、登記は実現しませんでした。
前件担当の弁護士側では何が起きていたのか
第一審が6億4800万円の責任を認めたのは、前件登記を担当した弁護士です。
ただし、実際の事務を主に処理していたのは弁護士本人ではありませんでした。
法律事務所には、かつて弁護士であったものの、平成5年に弁護士会から除名され、その後は事務員として勤務していた人物がいました。
この事務員は、原告Xが買主候補になる以前から本件不動産の取引に関わり、
- 所有者名義の旅券
- 住民票の写し
- 印鑑登録証明書
などを受け取っていました。
登記申請書類の点検なども、この事務員が行っていました。
したがって、この事務員は、生年の異なる2通の印鑑登録証明書が存在することを含め、書類の真正を疑わせる複数の事情を把握できる立場にありました。
東京地裁が弁護士の責任を認めた理由
東京地裁は、まず登記申請代理人の調査義務について一般論を示しています。
登記申請代理の依頼の本旨は、依頼者の権利を速やかに登記へ反映することにあります。
また、登記の背後にある実際の取引事情は、通常、取引当事者である依頼者の方がよく把握しています。
そのため裁判所は、
弁護士や司法書士が、依頼者から提出されたすべての登記申請書類について、当然にその真偽まで調査しなければならないわけではない
という考え方を示しました。
しかし、それには例外があります。
書類が偽造・変造されたことが一見して明らかな場合や、専門家として有すべき知識から見て、書類の真正を疑うべき相当な事情がある場合には、その真偽について調査確認する義務が生じるとしました。
本件では、
- 生年の違う2通の印鑑登録証明書
- コピー時に「複写」の文字が出なかったこと
- 住所表記の食い違い
- 書類ごとの署名の筆跡の違い
などが重なっていました。
裁判所は、前件側には書類の真正を疑うべき相当な事情があったと判断しました。
ところが、事務員は印鑑登録証明書そのものの真正を直接確認したり、新たな印鑑登録証明書を取り直したりせず、最終的に問題の印鑑登録証明書を使って登記申請を進めています。
東京地裁は、この対応を注意義務違反としました。
事務員がしたことでも、専門家本人の責任になる
前件担当の弁護士は、
「実際には事務員が処理しており、自分は利用されただけだった」
という趣旨の主張もしていました。
しかし、裁判所は認めませんでした。
法律事務所では弁護士名義で業務が行われ、弁護士自身も事務員に事務処理を広く任せていたと認定しました。
そのため裁判所は、この事務員を弁護士の履行補助者と位置付けています。
つまり、
少なくとも本件では、弁護士が受任した登記代理事務を事務員に委ね、その事務員が履行補助者と評価された以上、事務員の義務違反を弁護士本人の責任から切り離すことはできない
と判断されました。
その結果、前件担当の弁護士には、原告Xに対して6億4800万円及び遅延損害金の支払いが命じられました。
ところが、後件担当の司法書士の責任は否定された
では、司法書士はどうだったのでしょうか。
この司法書士は、
「何も知らずに書類を受け取って、機械的に登記申請した」
わけではありません。
むしろ、重要な問題に実際に気付いています。
平成27年9月7日、所有者を名乗る人物や取引関係者が集まり、登記申請に必要な書類を確認する会合が開かれました。
そこで、
同じ所有者について、生年が大正13年と大正15年に分かれた2通の印鑑登録証明書が存在する
ことが発覚します。
さらにコピーしても「複写」の文字が確認できませんでした。
司法書士自身も、この点について疑問を呈しています。
その結果、前件側の関係者が、登記申請までに正式な書類を整えることになりました。
つまり司法書士は、
問題に気付いていた。しかも、その問題を指摘していた。
それでも第一審では責任なしです。
なぜでしょうか。
連件申請では、誰が前件書類の真正を確認するのか
ここが第一審判決の最も重要な部分です。
東京地裁は、連件申請の場合について、
前件登記に関する資料の真正については、まず前件の登記手続代理人が第一義的に調査義務を負う
としました。
そして、後件の登記手続代理人については原則として、
前件登記が受理される程度に、書類が形式的に整っているかどうかを確認する義務にとどまる
と判断しました。
ただし、何があっても形式確認だけでよい、という意味ではありません。
例えば、
- 前件書類の真正まで確認することを依頼者との間で合意していた
- 前件代理人がおよそ専門家としての職務を果たしていないことが明らかだった
などの特段の事情があれば、後件代理人にもさらに踏み込んだ確認義務が生じ得るとしています。
「怪しい」と気付いたら、最後まで自分で調べなければならないのか
ここがこの事件の難しいところです。
司法書士は、2通の印鑑登録証明書について疑問を示しました。
しかし、その後は前件側の担当者が対応することになりました。
そして登記申請時には、前件側から、前件申請に使用する書類が司法書士へ渡されています。
第一審は、司法書士から見て、
前件代理人がおよそ専門家としての職務を果たしていないことが明らかだったとまではいえない
と判断しました。
そのため、
不審点を発見した以上、後件司法書士が前件の本人確認や書類の真正まで自ら独自に調査し続けなければならない
とはしませんでした。
ここは非常に実務的です。
専門家が問題を発見した場合でも、
問題を指摘すること
と、
その問題について自分自身が最後まで調査責任を引き受けること
は同じではありません。
少なくとも東京地裁は、この事件についてそう考えました。
ただし、この判断は後の東京高裁で覆されます。
したがって、この第一審だけを取り出して「現在の司法書士実務では、前件は確認しなくてよい」と一般化することはできません。
「19番17号」と「19番17」――司法書士には不注意もあった
司法書士の対応が完全無欠だったと判断されたわけでもありません。
前件申請書には、所有者の住所が、
「19番17号」
と記載されていました。
ところが印鑑登録証明書では、
「19番17」
とされ、「号」がありませんでした。
司法書士はこの違いに気付いていませんでした。
東京地裁は、この点について司法書士に不注意があったこと自体は認めています。
しかし、それだけで損害賠償責任が成立するわけではありません。
裁判所は、「号」の欠落だけによって前件登記が受理されなかったと認める十分な証拠はなく、その他の部分については前件申請書類が形式的に整っていたことなどを考慮しました。
つまり、
小さな確認ミスがあった
ということと、
そのミスについて6億円を超える損害賠償責任を負う
ということの間には、大きな法律上の距離があります。
注意義務違反があるのか、その義務違反と損害との間に因果関係があるのか、どの損害まで賠償対象になるのかを分けて考える必要があります。
前件所有者の本人確認まで司法書士に依頼されていたのか
原告X側は、司法書士に対し、
前件登記義務者である所有者本人の本人性や登記意思まで確認するよう依頼していた
とも主張しました。
司法書士はこれを否定しました。
東京地裁は、契約書その他の客観的な証拠がないことなどから、そのような依頼があったとは認定しませんでした。
そして、連件申請で後件登記を依頼したからといって、
通常、前件登記義務者の本人性や登記意思の確認まで当然に依頼したことになるわけではない
としています。
そこまで後件代理人に依頼するのであれば、特段の合意が必要だと判断しました。
これも専門家業務では重要な問題です。
依頼する側が、
「専門家なのだから当然そこまでやってくれると思っていた」
と考えていても、
実際に何を受任したのか
とは別の問題だからです。
司法書士が「大丈夫です」と保証した事実も認められなかった
原告Xはさらに、
司法書士が、
この登記申請をすれば、転売先会社は間違いなく所有権移転登記を受けられる
という趣旨の説明をしたとも主張しました。
しかし司法書士は否定しました。
裁判所も、そのような発言があったと認めるだけの証拠はないとして、この主張を退けています。
これは一見小さな点ですが、実は重要です。
専門家が、
「私はここまで確認します」
「問題ありません」
「必ずできます」
などと積極的な説明をすれば、その発言によって相手方が専門家に期待する役割も変わり得ます。
本件第一審では、司法書士が取引の安全や登記の実現を積極的に保証したという事実は認められませんでした。
弁護士6億4800万円、司法書士0円――東京地裁が分けたもの
第一審の結論を整理すると、こうなります。
前件担当の弁護士
前件登記の代理人であり、その履行補助者である事務員は、
- 生年の異なる2通の印鑑登録証明書
- コピー時の異常
- 住所の食い違い
- 署名の違い
など、書類の真正を疑うべき複数の事情を把握できる立場にありました。
それにもかかわらず、印鑑登録証明書そのものの真正を十分に調査しなかった。
そのため、6億4800万円の損害賠償責任あり。
後件担当の司法書士
後件登記の代理人であり、前件については原則として形式的に書類が整っているかを確認する立場でした。
印鑑登録証明書の異常については実際に疑問を呈しており、その後は前件側が対応することになっていました。
前件所有者の本人確認まで特別に依頼された事実もなく、司法書士から見て、前件代理人が全くその職務を果たしていないことが明らかであったとも認められない。
そのため、損害賠償責任なし。
東京地裁が分けたのは、「弁護士か司法書士か」という資格の違いそのものではありません。
どの登記を受任したのか、どの情報を持っていたのか、どの事項について第一義的に確認する役割だったのか
という違いです。
「司法書士の対応は正しかった」という判決ではない
この判決を、
弁護士は悪かったが、司法書士は正しく仕事をしていた
と理解するのも正確ではありません。
第一審でも、
- 司法書士は不審な事情を認識していた
- 住所の「号」の違いには気付かなかった
- その点には不注意があった
ことが認定されています。
それでも、第一審が認定した受任範囲、専門家間の役割分担、特段の事情の有無、損害との因果関係を踏まえると、不法行為による損害賠償責任までは認められないと判断されたのです。
専門家の責任は、「何か見落としがあったか」だけで決まるものではありません。
この第一審判決から見える5つのポイント
第一審の判断からは、少なくとも次の点が読み取れます。
- 巨額の事故が起きたからといって、関与した専門家全員が同じ責任を負うわけではない。
誰が何を受任し、どの範囲を確認すべきだったのかを個別に見る必要があります。 - 連件申請でも、前件と後件の代理人には役割分担があり得る。
第一審は、前件書類の真正について前件代理人が第一義的な調査義務を負うと考えました。 - 不審点に気付いたことと、自分が最後まで独自調査する義務を負うことは同じではない。
第一審では、司法書士が問題を指摘し、その後を前件側に委ねた経過が重視されました。 - 専門家に「何を期待したか」だけでなく、「実際に何を依頼したのか」が重要になる。
後件登記の依頼だけから、前件所有者の本人確認まで当然に含まれるとはされませんでした。 - 不注意と損害賠償責任は直結しない。
「号」の見落としについて不注意を認めながらも、それだけで本件損害についての責任は認められませんでした。
しかし、この司法書士への評価は次の東京高裁で逆転します
ここまで読むと、
「司法書士は不審点を指摘し、前件担当者に対応を委ねていた。それなら東京地裁が責任を否定したのも分かる」
と感じるかもしれません。
ところが、この事件はここで終わりません。
原告Xは控訴します。
そして東京高裁平成30年9月19日判決は、同じ司法書士について第一審とは逆の判断をし、
3億2400万円の損害賠償責任
を認めました。
司法書士が生年の異なる印鑑登録証明書に気付いていたという同じ事実を、一審は「問題を指摘して前件側に対応を委ねた」と評価しました。
では、高裁はなぜそれでは足りないと考えたのでしょうか。
次回は、責任なしから3億2400万円へ逆転した東京高裁判決を詳しく取り上げます。
不動産売買と司法書士の役割
不動産売買の決済では、所有権移転登記の申請書類をそろえるだけではなく、本人確認、意思確認、登記原因の確認、関係する登記の前後関係など、案件ごとに確認すべき事項があります。
また、複数の専門家が関与する取引では、誰がどの事項を担当し、どこまで確認するのかを明確にしておくことも重要です。
中野司法書士事務所では、不動産売買の決済、所有権移転登記、本人確認・意思確認、連件申請などの不動産登記業務に対応しています。
東京都杉並区・高円寺駅徒歩1分。司法書士として25年以上の実務経験をもとに、個々の取引内容を確認しながら登記手続を進めています。
参考判例
東京地方裁判所平成29年11月14日判決
平成28年(ワ)第660号 損害賠償請求事件
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