2億円を払い、登記まで受けたのに土地を取得できなかった理由――地面師事件と不動産登記の「公信力」
2026/08/06
不動産を購入し、代金を支払い、法務局で自分名義への所有権移転登記まで完了した。
普通に考えれば、
「これで自分がこの土地の所有者になった」
と思うのではないでしょうか。
ところが、今回取り上げてきた地面師事件では、買主会社は土地を2億円で購入し、実際に所有権移転登記まで受けたにもかかわらず、最終的にその土地を取得することができませんでした。
真の所有者から登記の抹消を求める裁判を起こされ、敗訴したためです。
なぜ、代金まで払い、登記まで完了しているのに土地の所有者になれなかったのでしょうか。
地面師事件3部作の最終回では、事件の原点となった東京地裁平成27年10月1日判決を中心に、
「登記があること」と「本当に所有権を持っていること」はなぜ同じではないのか
を見ていきます。
そして最後に、この事件で買主会社が土地を失った後、どのように被害回復を図ったのかを振り返ります。
まず、この土地取引の仕組みを整理します
問題となった土地の真の所有者は、鹿児島市に本店を置く特例有限会社でした。
取引では、まず中間会社がこの土地を1億5000万円で購入したとされていました。
その後、買主会社が中間会社から土地を2億円で購入します。
ただし、所有権移転登記については、
真の所有会社
↓
中間会社
↓
最終的な買主会社
と2回登記をするのではなく、
真の所有会社
↓
最終的な買主会社
へ直接所有権移転登記をする方法が採られました。
いわゆる「新中間省略登記」と呼ばれる方法です。
東京地裁平成27年10月1日判決に記載された登記原因証明情報によれば、中間会社が代金全額の支払までに所有権の移転先を指定し、真の所有会社がその指定と代金全額の支払を条件として、指定された者に直接所有権を移転するという内容になっていました。
そして平成27年2月19日、中間会社が買主会社を所有権の移転先として指定したとして、買主会社名義への所有権移転登記が行われました。
ここまでを見ると、一応の取引の形は整っているように見えます。
しかし、根本的な問題がありました。
真の所有会社は、そもそも土地を売っていなかったのです。
真の所有会社が「この土地は売っていない」と訴えた
買主会社への所有権移転登記が行われた後、真の所有会社は、
「自分たちはこの土地を売却していない」
として、買主会社に対して所有権移転登記の抹消を求める裁判を起こしました。
これが東京地裁平成27年10月1日判決です。
裁判で買主会社側は、
真の所有会社と中間会社との間で1億5000万円の売買契約が成立し、中間会社から代金全額が支払われたため、土地の所有権は最終的な買主会社へ有効に移転した
という趣旨の主張をしました。
これに対し、真の所有会社は、その売買契約自体の存在を否定しました。
そこで裁判所は、
本当に真の所有会社がこの土地を売却したのか
を判断することになりました。
売買契約書の会社印は、本物ではなかった
裁判所がまず確認したのは、売買契約書や登記関係書類です。
登記原因証明情報や土地売買契約書には、真の所有会社名義の印影がありました。
しかし、その印影は、真の所有会社が実際に印鑑登録している会社実印とは異なるものでした。
さらに、所有権移転登記申請に添付されていた法人の印鑑証明書も偽造されたものでした。
つまり、
「契約書に会社の印鑑が押してある」
「印鑑証明書まで添付されている」
という外形は整っていましたが、それ自体が偽物だったのです。
運転免許証も健康保険証も偽造されていた
さらに、会社代表者の本人確認資料として使用された運転免許証と国民健康保険証も偽造されていました。
裁判所が確認すると、これらの本人確認資料に記載された代表者の生年月日は、
昭和25年生まれ
となっていました。
しかし、本当の代表者は、
昭和35年生まれ
でした。
10年も違います。
運転免許証の写真も、真の代表者の実際の容貌とは明らかに異なっていました。
さらに、本人確認に使用された国民健康保険証についても、真の代表者はそもそも国民健康保険の加入者ではありませんでした。
当然ながら、真の代表者本人も、この土地売買への関与を否定しました。
裁判所の結論――成りすましによる取引だった
これらの事情を踏まえ、東京地裁は、
土地売買契約は、真の所有会社の代表者の名を騙った人物が関与して締結されたものと推認される
と判断しました。
そして重要なのが、その次です。
裁判所は、このような取引によって、
「実体的権利関係の変動が生じる余地はない」
と判断しました。
つまり、いくら売買契約書らしい書類が存在しても、いくら代金が動いていても、真の所有者自身が土地を処分していない以上、真の所有者から所有権が移転することはないということです。
その結果、裁判所は買主会社に対し、平成27年2月19日に行われた所有権移転登記を抹消するよう命じました。
「2億円を払った」のに、なぜ所有権を取得できないのか
一般の方からすると、ここが最も納得しにくいところかもしれません。
買主会社は、中間会社との間で売買契約を締結し、実際に2億円を支払っています。
それなら、
「お金を払った以上、土地は買主のものなのではないか」
と思うかもしれません。
しかし、不動産の売買では、
代金を支払ったことと、真の所有者から所有権を取得したことは別問題です。
土地の所有権を移転するためには、その土地を処分できる者による有効な処分行為が必要です。
今回の事件では、真の所有会社の代表者本人は土地を売却していません。
売主として取引に現れたのは、代表者を名乗った別人でした。
したがって、買主会社が代金を支払ったとしても、その支払によって、取引に関与していない真の所有会社から土地の所有権が移転するわけではありません。
買主会社はお金を支払いました。
しかし、その相手方側には、真の所有者の土地を有効に処分できる権限がなかったのです。
では、なぜ所有権移転登記までできたのか
さらに疑問が生じます。
この事件では、単に売買契約が締結されただけではありません。
司法書士が登記を申請し、法務局で審査され、実際に買主会社名義への所有権移転登記が完了しています。
それでも所有権を取得できませんでした。
ここで理解しておきたいのが、
登記そのものが、存在しない所有権を新しく作り出すわけではない
ということです。
不動産登記は、実体的な権利関係を公示するための制度です。
例えば、本当にAさんがBさんへ土地を売却して所有権が移転したのであれば、その権利変動を登記簿に記録して外部から分かるようにします。
しかし、
本当はAさんが売っていないのに、偽造書類によってBさんへの所有権移転登記だけが作られた
という場合、登記があることによって、本来存在しない所有権移転そのものが発生するわけではありません。
今回の事件は、まさにそのケースでした。
日本の不動産登記に「公信力がない」とはどういうことか
ここで、不動産登記についてよく使われる「公信力」という言葉が関係してきます。
最初に注意しておきたいのは、東京地裁平成27年10月1日判決そのものが、
「日本の不動産登記には公信力がない」
という一般論を直接判示したわけではないことです。
判決が直接判断したのは、
真の所有会社による土地の処分が存在せず、代表者の名を騙った人物による取引だった以上、そこから実体的な権利変動が生じる余地はない
という点です。
そのうえで、今回の事件を理解するための一般的な不動産登記制度の説明として、「公信力」という考え方があります。
日本の不動産登記には、一般に公信力が認められていません。
簡単にいえば、
登記簿の記載を信じて取引したというだけで、その登記内容が真実でなかった場合にも当然に権利取得が保証される制度ではない
ということです。
例えば、登記上Aさんが所有者になっている土地があったとします。
しかし、Aさんの所有権登記自体が偽造書類によって作られたもので、Aさんが本当の所有者ではなかったとします。
そのAさんから土地を購入した人が、
「登記簿ではAさんが所有者だったから信じた」
と言ったとしても、登記を信じたという理由だけで当然に真の所有者から土地を取得できるわけではありません。
これが「登記に公信力がない」と説明される意味です。
だからといって「登記は信用できない」という意味ではありません
ここは誤解しないでください。
日本の不動産登記に公信力がないからといって、
「登記簿なんて信用できない」
「所有権移転登記をしても意味がない」
ということではありません。
不動産登記は、誰がどの不動産についてどのような権利を持っているのかを外部から確認できるようにする極めて重要な制度です。
不動産取引の安全は、この登記制度によって大きく支えられています。
ただし、登記は実体的な権利関係を前提として記録されるものです。
偽造書類や成りすましによって、実体のない所有権移転登記が作られてしまった場合に、
登記されたという事実だけで、本来存在しなかった所有権まで新たに生み出す制度ではない
ということです。
登記制度が重要であることと、登記に公信力がないことは矛盾しません。
「新中間省略登記」だったから土地を失ったわけではない
この事件では、いわゆる新中間省略登記が使われています。
そのため、
「中間会社を飛ばして直接登記したから問題になったのではないか」
と思う方もいるかもしれません。
しかし、それは本件の問題の本質ではありません。
新中間省略登記という取引方法そのものが違法・無効だったため、買主が土地を失ったわけではありません。
問題はもっと前にあります。
真の所有会社が、そもそも土地を売っていなかったのです。
真の所有者による処分行為がなければ、
真の所有会社
↓
中間会社
↓
買主会社
と順番に2回登記をしたとしても、根本的な問題は解決しません。
最初の所有権移転自体が存在しないからです。
公信力がないからこそ、登記前の本人確認が重要になる
この点を理解すると、第1回、第2回で取り上げてきた司法書士の本人確認がなぜ重要なのかも見えてきます。
登記が終わった後に、
「登記名義を取得したのだから、この人の所有権を国が保証します」
という制度ではありません。
だからこそ、登記を申請する前の段階で、
- 売主は本当に登記名義人本人なのか
- 法人であれば、本当にその代表者なのか
- 本当に不動産を売却する意思があるのか
- 本当にこの内容の所有権移転登記を申請する意思があるのか
を確認することが重要になります。
司法書士が不動産売買の決済に立ち会い、本人確認や意思確認を行う理由の一つもここにあります。
もちろん、司法書士は取引の安全を全面的に保証する保証人ではありません。
すべての詐欺を必ず発見できるわけでもありません。
しかし、
登記が行われる前に、本人と意思を確認することは、不動産取引の安全を守る重要な防波堤の一つです。
今回の事件では、その確認がどこまで必要だったのかが、後の損害賠償訴訟で大きく争われることになりました。
土地を失った買主会社は、その後どうしたのか
東京地裁平成27年10月1日判決によって、買主会社は所有権移転登記を抹消しなければならなくなりました。
買主会社は2億円を支払っています。
それなのに土地を取得できない。
当然、そのままでは終わりませんでした。
その後、買主会社は、中間会社と登記を担当した司法書士に対して損害賠償請求訴訟を起こしました。
一審の東京地裁平成28年9月2日判決では、中間会社に対して、
2億0186万2188円
の支払が命じられました。
一方、司法書士については、本人確認義務違反は認められず、請求が棄却されました。
これが第1回の記事で紹介した裁判です。
しかし、買主会社は控訴します。
東京高裁平成29年12月13日判決は一審の判断を覆し、司法書士にも本人確認義務違反があったとして、
2億2443万0863円
の損害賠償責任を認めました。
この判決は確定しました。
2億円を超える勝訴判決を取っても、それで終わらなかった
さらに買主会社は、司法書士が加入していた賠償責任保険から被害を回収しようとしました。
司法書士の保険会社に対する、
- 2億円
- 1000万円
合計2億1000万円の保険金請求権を差し押さえ、転付命令まで取得しました。
ところが、第2回の記事で紹介した東京地裁令和2年7月1日判決では、司法書士が成りすましを認識していたという「故意」が認定されました。
その結果、保険契約の故意免責条項が適用され、保険会社に保険金を支払う義務はないとして、買主会社の請求はすべて棄却されました。
土地を失った後、
- 中間会社への損害賠償請求
- 司法書士への損害賠償請求
- 控訴
- 保険金請求権の差押え
- 転付命令
- 保険会社への訴訟
と、長い被害回復のための手続が続いたことになります。
「2億円の判決を取った」と「2億円を回収した」は同じではない
ここでも注意したいことがあります。
裁判所が、
「2億円を支払いなさい」
という判決を出したことと、
実際に2億円を回収できたことは別です。
今回確認した判決資料から分かるのは、
- 中間会社に対して2億0186万2188円の支払義務が認められたこと
- 高裁で司法書士に対して2億2443万0863円の責任が認められたこと
- 司法書士の保険金請求権を差し押さえ、転付命令を得たこと
- しかし保険金2億1000万円の請求は認められなかったこと
までです。
これらの判決だけから、最終的に買主会社が実際にいくら回収できたのかまで断定することはできません。
裁判に勝つこと。
損害賠償請求権を取得すること。
そして実際にお金を回収すること。
これも、それぞれ別の問題なのです。
この地面師事件から分かる3つのこと
三部作の最後に、この事件全体から見えることを3つに整理してみます。
1 所有権移転登記が完了しても、それだけで真の所有権が保証されるわけではない
今回の買主会社は、2億円を支払い、所有権移転登記まで受けました。
しかし、真の所有会社は土地を売却していませんでした。
そのため、成りすましによる取引から実体的な所有権移転は生じず、買主会社の登記は抹消されることになりました。
登記には、その前提となる有効な権利変動が必要です。
2 だからこそ、登記前の本人確認・意思確認が重要になる
日本の不動産登記は、登記を信じた人の所有権を無条件に保証する制度ではありません。
そのため、取引を行う段階で、
「売主は本当に本人なのか」
「本当に売却する意思があるのか」
「本当にこの登記を申請する意思があるのか」
を確認することが重要になります。
第1回で、一審と高裁が司法書士の本人確認義務について異なる結論に至ったのも、この確認の重要性と、その限界をどこに置くかが難しいからです。
3 事故が起きてからの被害回復は容易ではない
今回の買主会社は、土地を失った後も複数の訴訟を続けています。
中間会社への訴訟。
司法書士への訴訟。
控訴。
保険金請求権の差押え。
転付命令。
そして保険会社への訴訟。
それでも、少なくとも2億1000万円の保険金については回収できませんでした。
この経過を見ると、不動産取引では、
事故が起きてから損害を取り戻すこと以上に、取引の段階で事故を防ぐことが重要である
ことがよく分かります。
地面師事件3部作を振り返って
この3回の記事では、一つの土地取引を異なる角度から追ってきました。
第1回では、
司法書士は運転免許証、健康保険証、印鑑登録証明書などを確認し、売主役と面談までしていたにもかかわらず、なぜ高裁で2億円を超える損害賠償責任を負うことになったのかを取り上げました。
一審は司法書士の責任を否定しました。
高裁は、本人確認書類だけでなく、取引全体に現れていた複数の不自然な事情を重視して責任を認めました。
第2回では、その2億2443万円余りの損害賠償判決が確定しているにもかかわらず、なぜ司法書士賠償責任保険から2億1000万円を回収できなかったのかを取り上げました。
裁判所は、単なる過失ではなく司法書士の「故意」を認定し、保険会社の故意免責を認めました。
そして今回の第3回では、事件の出発点に戻りました。
買主会社は2億円を支払い、所有権移転登記まで受けた。
それでも土地を取得できなかった。
真の所有会社が土地を売却していなかったからです。
この一連の裁判を追っていくと、不動産売買における登記手続が、単に必要書類をそろえて法務局へ提出するだけのものではないことが分かります。
本人を確認する。
意思を確認する。
提出された資料を確認する。
取引の中で得た情報に不自然な点がないかを考える。
そして、この状態で登記を申請してよいのかを判断する。
数億円規模の不動産取引でも、その一つ一つの確認と判断の積み重ねによって取引が進んでいきます。
司法書士が不動産の所有権を保証するわけではありません。
しかし、不動産取引と登記の間に立ち、その安全を支える役割を担っていることは、この事件からもよく分かります。
まとめ――登記の前に事故を防ぐことの重要性
今回の地面師事件では、
代金を支払ったこと
所有権移転登記を受けたこと
真実の所有権を取得したこと
が、結果として一致しませんでした。
買主会社は2億円を支払い、所有権移転登記まで受けましたが、真の所有者が土地を売却していなかったため、所有権を取得できませんでした。
そして土地を失った後も、被害回復のために複数の裁判や強制執行手続が続きました。
不動産登記は、不動産取引の安全を支える極めて重要な制度です。
一方で、登記されたという事実だけで、存在しない権利関係まで真実になるわけではありません。
だからこそ、不動産売買では、登記を行う前の本人確認、意思確認、権限確認、そして取引全体の確認が重要になります。
地面師事件は特殊な事件です。
しかし、そこから見えてくる、
「取引を安全に完了させるために、登記の現場で何を確認し、どのように判断するのか」
という問題は、通常の不動産取引にも共通するものです。
参考裁判例
東京地方裁判所平成27年10月1日判決
平成27年(ワ)第6977号
土地所有権移転登記抹消登記手続請求事件
東京地方裁判所平成28年9月2日判決
平成27年(ワ)第14004号
損害賠償請求事件
東京高等裁判所平成29年12月13日判決
平成28年(ネ)第4593号
損害賠償請求控訴事件
東京地方裁判所令和2年7月1日判決
平成30年(ワ)第7987号
保険金請求事件
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