萬田銀次郎の法律論は本当に通用する?――賭博の貸金をめぐる大審院・最高裁判例
2026/10/10
前回は、『ミナミの帝王』で萬田銀次郎が持ち出した東京地裁昭和55年7月17日判決を、実際の判決原文までさかのぼって検証しました。
そこで分かったのは、作品中の説明が意外なほど本物の判決に近かったことです。
一方で、大きな違いもありました。
『ミナミの帝王』で問題になっていたのは、横井が支払わない「賭け麻雀のツケ」そのものです。
これに対し東京地裁の事件では、被告が賭け麻雀で負け、その賭け金を支払うために原告から別途金を借り、その貸主である原告が貸金の返還を求めました。
それでも東京地裁は、さまざまな事情を考慮して貸金返還請求を認めています。
では、
「賭博の負け金を支払うために貸した金なら、返してもらえる」
と考えてよいのでしょうか。
ここで東京地裁判決だけを見るのをやめて、その前後の大審院・最高裁判例まで調べてみると、かなり違った景色が見えてきます。
賭博の負け金を払うための貸金も無効?――昭和13年大審院判決
まず注目したいのが、東京地裁昭和55年判決より40年以上前の、
大審院昭和13年3月30日判決・昭和12年(オ)第2174号
です。
この判決の要旨には、
「賭博ニ因リ負擔シタル債務ノ辨濟ノ資ニ供スルモノトシテノ貸金契約ハ公序良俗ニ反スルモノトス」
とあります。
現代の言葉に直せば、
賭博によって負った債務を支払うための資金としてする貸金契約も、公序良俗に反する
という判断です。
ここは今回のテーマを考えるうえで非常に重要です。
賭博をするために事前に金を貸したケースではありません。
すでに賭博で負った債務を支払うための金です。
それでも大審院は、公序良俗に反すると判断しています。
判決理由では、このような弁済資金を融通することも賭博を容易にし、賭博を助長することにつながるという趣旨の考え方が示されています。
したがって、
「博打をする前に貸した金なら問題だが、負けた後の後始末のために貸した金なら別だ」
という単純な区別はできません。
これは、東京地裁昭和55年判決を読むうえでも重要な前提になります。
最高裁は「賭博に使うと知って貸した金」をどう判断したか
次が、
最高裁昭和47年4月25日判決・昭和46年(オ)第1177号
です。
最高裁判決そのものは、かなり短いものです。
原審が確定した事実として、貸主は、
貸した金が賭博に使われることを知りながら貸していた
とされています。
これについて最高裁は、
「本件消費貸借契約は公序良俗に反し無効であることが明らか」
と判断し、貸金の返還請求を認めませんでした。
具体的な事案については、最高裁判決本文には詳しく書かれていません。
本田晃氏の判例解説では、貸主宅でしばしば賭博が行われ、借主が貸主から30万円を借りて賭博に費消した事案として紹介されています。
ただし、これは本田氏による事案紹介であり、最高裁判決本文そのものに詳しく記載された事実とは区別する必要があります。
そして本田氏は、この昭和47年最高裁判決によって、賭博に使われることを知って金を貸す行為について、公序良俗違反で無効となるという判例法理が確立したと理解されている、と整理しています。
つまり、最高裁の示した考え方はかなり厳しいものです。
賭博を積極的に助長した貸主――昭和50年大阪高裁
次に見るのが、
大阪高裁昭和50年1月23日判決・昭和48年(ネ)第1041号
です。
この事件では、貸主の子らが胴元となって賭博場を開いていました。
借主らはそこへ足繁く出入りし、賭博で負けて賭け金がなくなると、貸主から金を借りていました。
さらに、賭博場へ行く前に貸主宅へ立ち寄り、賭博場の場所を聞くとともに、賭け金に使う金を借りることもあったと認定されています。
大阪高裁は、貸主について、単に
「賭博に使うことを知って貸した」
というだけではなく、
借主らの賭博行為を「積極的に助長」し、「賭博場開帳の利をはかろうとする意図」を有していた
とまで認定しました。
そのため、公序良俗に反する事項を目的とする金銭貸借契約であり、不法原因に基づく給付として、民法708条により返還請求することはできないと判断しています。
この事件では、貸主と賭博との結び付きがかなり強いことが分かります。
ただし、
「積極的に賭博を助長していなければ貸金契約は有効になる」
と大阪高裁が判断したわけではありません。
この事件では、そこまで強い事情が実際に認定されていた、ということです。
それでも東京地裁昭和55年は、なぜ返還請求を認めたのか
ここで、第1回で取り上げた
東京地裁昭和55年7月17日判決
に戻ります。
この事件も、賭け麻雀で負けた賭け金の支払に充てるための貸金でした。
つまり、
「負けた後の決済資金だったから請求が認められた」
と説明することはできません。
昭和13年大審院は、すでに賭博債務の弁済資金について、公序良俗に反するとの判断を示しているからです。
では、東京地裁は何を見たのでしょうか。
詳しい事実関係は第1回で説明しましたが、裁判所は、
- 貸主が賭け麻雀の勝敗による利益の配分を受けたり、損失を分担したりする関係にはなかったと推認されること
- 賭け金の支払に使うことを知って貸したにとどまり、「その使途を容認したに過ぎない」こと
- 麻雀に集まっていたのは知人やその同伴者約10人で、不特定多数ではなかったこと
- 勝者から1000円を徴収していた点についても、場所や各種サービスの提供とその金額を考慮すると、賭け麻雀によって不法な利益を得、又は得ようとしていたとはいえないこと
- 貸金等について利息を求めていなかったこと
- 借主が結局「自己の遊興のため費した」と評価されたこと
などを具体的に検討しました。
そして、貸主にも「不法と非難されるべき余地」があるとはしながらも、この事案で貸金の返還を求めることは、いまだ社会的妥当性を欠くとはいえず、不法原因給付の法理によって請求を排斥することはできないとしました。
本田晃氏は、後にこの東京地裁判決を、
「貸主の不法性の微弱性を指摘して公序良俗に違反しないとした事例」
として整理しています。
これは東京地裁判決自身が使った言葉ではなく、後の解説による位置付けです。
こうして他の判例・裁判例と並べてみると、東京地裁昭和55年判決は、
「賭博の負け金を払うための貸金なら返還請求できる」
という一般的なルールを示したものではないことが、よりはっきりしてきます。
昭和61年最高裁も「賭場開帳の資金」の貸付を無効と判断
さらに、
最高裁昭和61年9月4日判決・昭和60年(オ)第1563号
があります。
この事件では、貸主が、
貸した金が「賭場開帳の資金」に使われることを知っていた
ことが認定されていました。
最高裁は昭和47年判決を引用して、
賭博の用に供されることを知ってする金銭消費貸借契約は、公序良俗に反し無効である
としたうえで、この貸金契約も無効と判断しています。
この昭和61年事件は、昭和13年大審院とは場面が違います。
昭和13年大審院は、
すでに生じた賭博債務の決済資金
でした。
これに対して昭和61年最高裁は、
賭場を開くための資金
です。
後の判例解説では、賭博の賭金、賭博債務の決済資金、賭博開帳の準備資金について、その用途を知って貸すことは賭博を幇助し、少なくとも結果的に賭博を助長する行為であって、契約を公序良俗違反・無効とする判例法理が確立されていると整理されています。【判例タイムズ】
本田晃氏も、賭博の準備資金又は決済資金であることを知って貸した場合には、公序良俗違反で無効になるという判例法理として整理しています。
したがって、
賭博をする前の金か、賭博が終わった後の金か
という時間的な違いだけで、有効・無効を分けることはできません。
民法90条と708条――「契約が無効」と「渡した金を取り戻せるか」は区別して考える
ここで、作品中にも登場した民法708条・不法原因給付について、もう一段整理しておきます。
今回の判例を読むうえでは、民法90条と708条を区別して考える必要があります。
民法90条――そもそも貸金契約は有効なのか
民法90条は、公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為を無効とする規定です。
賭博に使われると知ってした貸付について最高裁が、
「金銭消費貸借契約そのものが公序良俗に反して無効である」
と判断しているのは、この問題です。
つまり、
そもそも「貸したのだから契約に基づいて返せ」という貸金返還請求権が認められるのか
が問題になります。
民法708条――すでに渡した金を返してもらえるのか
ところが、契約が無効だとしても、現実には貸主から借主へ金が渡っています。
そこで次に、
すでに渡した金を、不当利得として返してもらうことができるのか
という別の問題が出てきます。
ここで、不法原因給付を定めた民法708条が関係してきます。
昭和61年最高裁の評釈でも、
金銭消費貸借契約に基づく貸金返還請求
と、
実際に給付された金員についての不当利得返還請求
とは、別個に考察すべき問題だと整理されています。【判例タイムズ】
ですから、
「貸金契約が公序良俗違反で無効になった」=「貸した金はどんな場合でも絶対に取り戻せない」
と直結させることはできません。
不当利得として返還を求められるかについては、さらに民法708条との関係を検討する必要があります。
評釈では、貸主による積極的な賭博の助長などの特殊事情がない場合には、貸主側より借主側の不法性が大きいとみる余地があり、不当利得返還請求を認めるという有力な学説も紹介されています。 【判例タイムズ】
ただし、これは学説・評釈上の議論です。
昭和61年最高裁が、不当利得返還請求まで認めたわけではありません。
ここは、『ミナミの帝王』で横井と萬田が「不法原因給付」を一言で応酬していた場面よりも、実際の法律関係はかなり複雑です。
判例全体を読むと、萬田銀次郎の法律論はどう見えるのか
ここまで判例・裁判例を並べてみると、第1回で取り上げた東京地裁昭和55年判決の見え方も変わってきます。
大審院昭和13年は、
賭博で負った債務を支払うための貸金
について公序良俗違反としました。
最高裁昭和47年は、
賭博に使われると知って貸した金
について、消費貸借契約を公序良俗違反・無効としました。
大阪高裁昭和50年は、賭博との関係がさらに強く、貸主が賭博を積極的に助長していた事案で返還請求を認めませんでした。
そして最高裁昭和61年も、
賭場開帳の資金として使われると知ってした貸付
を公序良俗違反・無効としています。
その間にあるのが、萬田銀次郎が持ち出した東京地裁昭和55年判決です。
東京地裁は、具体的な事情を細かく検討したうえで、不法原因給付の法理によって貸金返還請求を排斥することまではできないと判断しました。
したがって、この東京地裁判決を、
「賭博の負け金を払うために貸した金なら、返してもらえる」
という一般的なルールとして読むことはできません。
かといって、東京地裁昭和55年判決を単純に、
「最高裁判例の例外」
と位置付けるのも適切ではありません。
最高裁がこの東京地裁判決を承認し、正式な例外類型として位置付けたわけではないからです。
むしろ、
賭博関連貸金について厳しい判例法理がある中で、その具体的な事案について貸主側の関与や不法性を詳細に検討し、返還請求を排斥しなかった下級審裁判例
と捉えるのが分かりやすいと思います。
そして、ここから先は判例そのものではなく、作品についての私なりの見方です。
横井は、民法708条の不法原因給付を持ち出し、「博打で負けた銭は請求できん」という趣旨で支払を拒みます。
これに対して萬田が持ち出したのは、実在する東京地裁昭和55年判決でした。
判例全体まで見渡すと、この東京地裁判決は、萬田の取り立てには非常に使いやすい裁判例だったことが分かります。
しかも萬田は、
「不法の利益を得ようとしたことにはならん」
「遊びに費やしたもんとして請求は認められとんのや」
という、自分にとって都合のよい部分を横井に突きつけています。
もちろん、作品中で萬田が大審院・最高裁まで調べたうえで意図的に東京地裁判決だけを選んだのかまでは分かりません。
ただ、萬田銀次郎は、横井に判例体系を講義する研究者ではありません。
相手が持ち出した法律論を崩し、取り立てを進める人物です。
そう考えると、結果として自分の取り立てに一番使いやすい裁判例の「おいしいところ」を使っているのも、実に萬田銀次郎らしいと思います。
第1回では、
「萬田が言った東京地裁判決は本当にあった」
ことに驚きました。
第2回でその前後の判例まで読んでみると、
「本当にあった判決の、どの部分を使っているのかまで面白い」
という、もう一段違った見方ができました。
『ミナミの帝王』を入口に判決原文まで追ってみると、作品を普通に見ているだけでは気づかなかった法律の世界が、かなり深く広がっていました。
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