一審は司法書士勝訴、二審は2億2443万円――地面師事件で判断が逆転した理由
2026/07/22
不動産の所有者になりすました人物が、精巧に偽造された運転免許証、健康保険証、印鑑登録証明書などを使用して土地を売却しました。
登記手続を担当した司法書士も、登記申請を審査した登記官も、書類が偽造されたものであることを見抜けませんでした。
買主から司法書士に対して損害賠償が請求された裁判では、一審の東京地方裁判所が司法書士の責任を否定しました。
ところが、控訴審の東京高等裁判所は判断を覆し、司法書士に対して、2億2443万0863円と遅延損害金の支払を命じました。
一審と控訴審で、なぜこれほど大きく判断が分かれたのでしょうか。
この判例で問題とされたのは、司法書士が精巧な偽造書類そのものを見破れなかったことではありません。
裁判所が問題としたのは、書類以外にも不自然な事情がいくつもあったにもかかわらず、司法書士が追加の確認をしないまま登記手続を進めたことでした。
真の所有者になりすました地面師事件
問題となったのは、東京都文京区にある高額な土地の売買取引です。
土地の登記名義人は、鹿児島市に本店を置く小規模な特例有限会社でした。土地は抵当権などの負担がない状態で、駐車場として利用されていました。
地面師グループは、その会社の代表者になりすました女性を用意し、偽造した本人確認書類や登記関係書類を使用して、土地を売却しようとしました。
売主役の女性は、土地の登記識別情報を提出できないと説明しました。
登記識別情報とは、従来の権利証に相当する12桁の情報であり、登記名義人本人による申請であることを確認する重要な手段です。登記識別情報は再発行されませんが、紛失したからといって不動産を売却できなくなるわけではありません。(法務局)
登記識別情報を提供できない場合には、原則として登記所から登記名義人に事前通知が行われます。
ただし、司法書士などの資格者代理人が本人と面談し、本人であることを確認した根拠を記載した「本人確認情報」を登記所へ提供することにより、事前通知を省略できる場合があります。(e-Gov 法令検索)
本件では、司法書士が売主役の女性と面談し、運転免許証、健康保険証、印鑑登録証明書などを確認して、真の所有会社の代表者本人である旨の本人確認情報を作成しました。
その本人確認情報を使用して所有権移転登記が申請され、登記は一度受理されました。
しかし、売主役の女性は真の代表者ではなく、提出された書類も偽造されたものでした。
一審はなぜ司法書士の責任を否定したのか
一審の東京地方裁判所は、司法書士が本人確認義務に違反したとは認めませんでした。
その理由として大きかったのは、使用された書類が極めて精巧に偽造されていたことです。
司法書士は、売主役の女性と直接面談し、次の書類の提示を受けていました。
- 運転免許証
- 健康保険証
- 個人名義の印鑑登録証明書
司法書士は、各書類の外観を確認し、住所、氏名、生年月日などの記載内容を照合していました。
しかし、書類の体裁や記載内容には、個別に見て明らかに不自然な点がありませんでした。偽造は、登記官による審査でも発見されないほど精巧なものでした。
また、買主会社も不動産取引を業務として行う会社であり、売主役から関係書類の提示を受けて確認していましたが、成りすましには気付いていませんでした。
一審は、このような事情を重視し、司法書士が偽造書類を見抜けなかったことを注意義務違反とは評価しませんでした。
この判断にも、十分理解できる面があります。
司法書士は偽造文書の鑑定人ではありません。専門家や登記官が通常の方法で確認しても見抜けないほど精巧に作られた偽造書類について、結果的に偽物だったという理由だけで司法書士に責任を負わせることは、結果論になりかねないからです。
控訴審は「書類以外の不自然さ」を重視した
ところが、東京高等裁判所は、一審とは違う角度から事件を見ました。
控訴審も、司法書士が運転免許証などの外観だけから偽造を見抜けたとは判断していません。
高裁が重視したのは、取引全体に次のような不自然な事情があったことです。
1 鹿児島の小規模な会社が東京の高額な土地を所有していた
真の所有会社は、鹿児島市に本店を置く小規模な特例有限会社でした。
一方、売却対象となった土地は東京都文京区にあり、1億円から2億円程度の価値があると考えられる高額な土地でした。
遠隔地の会社が東京の土地を所有していること自体は、もちろんあり得ます。
しかし高裁は、本人の説明やほかの事情を検討する際には、通常よりも警戒の水準を上げる要素になると評価しました。
2 駐車場収入があるのに「会社は休眠状態」と説明した
土地は駐車場として利用され、賃料収入が生じていました。
それにもかかわらず、売主役の女性は、会社が休眠状態であると説明していました。
収益を生む高額な不動産を所有している会社が休眠状態であるという説明には、矛盾があります。
3 法人の売買代金を代表者個人の口座へ振り込ませようとした
土地の所有者は法人でした。
ところが、売買代金の振込先として指定されたのは、会社名義の口座ではなく、代表者個人名義の普通預金口座でした。
法人の財産である土地の売却代金を代表者個人の口座へ振り込ませれば、代表者が会社財産を横領する可能性も考えられます。
さらに、振込先として指定されたのは、会社の本店所在地である鹿児島県内の地方銀行や信用金庫などではなく、遠隔地の銀行口座でした。
高裁は、これらも不審な情報であると評価しました。
4 残代金の着金確認前に登記書類を渡した
売主役の女性は、残代金5000万円が口座へ着金したことを確認しないまま、登記申請に必要な書類を司法書士へ渡しました。
真の所有者であれば、代金を受け取れないまま所有権を失う危険がある行動です。
通常の売主であれば避けるはずの行動であるとして、高裁はこれも重要な不審事情としました。
5 当日鹿児島で発行された印鑑登録証明書が午後には東京にあった
売主役から提示された印鑑登録証明書は、同日の朝に鹿児島市役所で発行されたことになっていました。
その証明書が、同日の午後2時ごろには東京都内の司法書士事務所で提示されていました。
物理的に絶対不可能とまではいえなくても、相当に時間が切迫した状況です。
高裁は、証明書が真正なものか疑いを持たせる事情であると評価しました。
6 高額な土地なのに登記識別情報を紛失していた
土地は、会社が取得してから約5年4か月しか経過しておらず、約2億円の価値があり、駐車場として営業中でした。
そのような重要な会社財産について、登記識別情報をどこに保管したか分からなくなり、紛失したという説明がされていました。
登記識別情報を紛失すること自体は、珍しいことではありません。
したがって、登記識別情報がないという一事だけで、売主を地面師と判断することはできません。
しかし、ほかの不自然な事情と重なった場合には、警戒水準を引き上げる一つの事情になります。
一つ一つは説明できても、重なると意味が変わる
本件で重要なのは、一つの事情だけを取り出して、地面師事件だと判断できたかどうかではありません。
鹿児島の会社が東京の土地を所有することも、会社が個人口座への送金を指定することも、登記識別情報を紛失することも、個別には起こり得ます。
しかし、
- 会社の説明と不動産の利用状況が矛盾する
- 法人の代金を個人口座へ振り込ませる
- 送金先の金融機関も不自然である
- 着金確認前に重要書類を渡す
- 証明書の発行地と提示時刻が不自然である
- 高額な不動産なのに登記識別情報を紛失している
という事情が同じ取引で重なれば、意味が変わります。
東京高裁は、司法書士には売主役の女性が成りすましであることを疑うに足りる事情があったと判断しました。
したがって、運転免許証などの形式的な確認だけで終わらせず、さらに本人確認のための調査を行う注意義務があったとしたのです。
高裁が求めた「追加調査」とは何か
東京高裁は、司法書士が所轄の官公署へ電話をし、売主役から提示された健康保険証、運転免許証、印鑑登録証明書が実際に発行されたものか確認していれば、偽造であることを容易に判断できたと指摘しました。
もっとも、この判示を、
少しでも疑わしい場合には、必ず役所へ電話すればよい
と理解するのは適切ではありません。
官公署が、第三者である司法書士からの問い合わせに対して、証明書の発行事実や個人情報を回答するとは限らないからです。
この判例の本質は、特定の確認方法をすべての案件で実施することではありません。
重要なのは、
合理的な疑念が生じているのに、その疑念を解消するための追加確認を何もしないまま、本人確認情報を作成して決済と登記を進めてはならない
という点です。
どのような追加調査が適切かは、事件によって異なります。
別の本人確認書類を求める、会社の実態を確認する、取引経緯を詳しく聴取する、発行元への確認を試みる、決済を延期するなど、把握した疑念に応じた確認方法を選択する必要があります。
司法書士の仕事は、登記書類を作ることだけではない
司法書士の不動産売買における仕事は、登記申請書や委任状を作成して法務局へ提出することだけではありません。
売買の決済では、司法書士が、
- 売主と買主が本人であるか
- 売却や購入の意思があるか
- 登記申請に必要な権限があるか
- 登記関係書類がそろっているか
- 売買契約と登記内容が一致しているか
- 抵当権抹消や融資実行を含む手続が同時に実行できるか
などを確認します。
司法書士が「登記申請に問題はない」と判断した後に、買主が売買代金を支払い、金融機関が融資を実行するのが通常です。
本人確認を誤り、そのまま決済を進めれば、買主や金融機関に数千万円、数億円規模の損害が生じることがあります。
一方で、確証のない疑いだけで真正な取引を止めれば、売主、買主、金融機関、仲介会社などに損害を与える可能性もあります。
司法書士は、単に「進める」ことだけを求められているのではありません。
疑念が解消できない場合には、追加資料を求め、決済を延期し、本人確認情報を作成せず、場合によっては受任を辞退する判断も必要です。
つまり、司法書士は、取引を進める責任と、取引を止める責任の双方を負っています。
司法書士報酬は、作成した書類の枚数だけに対する対価ではありません。
本人確認、意思確認、取引内容の調査、提出書類相互の照合、決済を実行できるかという専門的判断、そして、その判断に伴う責任も、司法書士業務の重要な部分です。
偽造を見抜けなければ、常に司法書士の責任になるわけではない
本人確認書類が偽造されていたという結果だけで、司法書士が常に損害賠償責任を負うわけではありません。
申請人を疑う事情がなく、法令所定の方法による本人確認を適切に行った司法書士について、運転免許証のICチップの確認、自宅訪問、自宅への電話などまで行う義務はなかったとして、責任を否定した裁判例もあります。
また、顔写真を差し替えた偽造運転免許証が使用された事件でも、免許証の外観、記載内容、面談の状況に特段の異常がなく、面前の人物と免許証の写真が一致していたことなどから、司法書士の責任を否定した裁判例があります。
裁判所が見ているのは、後から偽造だったと分かったかどうかではありません。
問題となるのは、
その時点で司法書士が把握していた事情から、真の登記名義人であることを疑うべきだったか
疑うべき事情があった場合に、相応の追加確認を行ったか
という点です。
責任が認められる場合と否定される場合の境界線については、別の記事で改めて取り上げたいと思います。
この判例から実務上学ぶべきこと
この判例から、司法書士実務に生かすべき点は明確です。
第一に、本人確認書類だけを個別に見て判断しないことです。
本人の説明、法人の実態、不動産の利用状況、登記識別情報を紛失した経緯、代金の振込先、決済時の行動などを、相互に照合する必要があります。
第二に、一つの不自然さだけで判断するのではなく、不自然な事情の重なりを見ることです。
一つ一つは説明可能でも、複数が同時に存在すれば、通常より警戒水準を上げるべき場合があります。
第三に、疑念を持った場合には、何を確認し、その疑念がどのように解消されたのかを記録に残すことです。
第四に、疑念が解消できないまま、時間や周囲からの圧力に押されて手続を進めないことです。
追加資料の提出、決済の延期、本人確認情報を作成しない判断、受任の辞退まで含めて検討する必要があります。
もっとも、登記識別情報を紛失していることや、遠隔地に不動産を所有していることだけで、依頼者を不審人物と決めつけてよいわけではありません。
本人確認では、疑うこと自体が目的なのではなく、取引全体を冷静に確認し、合理的な疑念があるかどうかを判断することが求められます。
まとめ――司法書士に求められるのは「見破る能力」だけではない
司法書士は、精巧に偽造された運転免許証や印鑑登録証明書を、すべて目視だけで見破れるわけではありません。
司法書士は偽造鑑定人ではなく、結果的に偽造を見抜けなかったというだけで、直ちに責任を負うものでもありません。
しかし、本人確認書類以外の取引経緯に不自然な事情がいくつも重なっている場合には、通常の本人確認書類の確認だけで手続を進めることはできません。
司法書士に求められているのは、書類の形式を確認するだけでなく、
この人物は本当に登記名義人本人なのか
この取引を進めてもよいのか
追加確認をすべき事情はないか
を専門家として判断することです。
本判例は、司法書士による本人確認情報の作成と不動産決済が、極めて重い判断と責任を伴う業務であることを示しています。
この判例を、今後の本人確認、意思確認、不動産決済の実務に生かしていきたいと思います。
次回予告
本件では、控訴審において司法書士に2億円を超える損害賠償責任が認められました。
次回は、買主会社が司法書士賠償責任保険の保険金請求権を差し押さえ、合計2億1000万円の回収を図ったにもかかわらず、保険金請求が全額棄却された判例を取り上げます。
前の裁判では「過失」が認定された司法書士について、後の保険金請求訴訟では、なぜ「故意」が認定されたのでしょうか。
参考判例・参考資料
- 東京高裁平成29年12月13日判決・平成28年(ネ)第4593号・判例時報2387号13頁
- 東京地裁平成28年9月2日判決・判例時報2387号18頁
- 公益財団法人日弁連法務研究財団「法務速報第213号」
- 東京高裁平成26年3月12日判決・平成25年(ネ)第5735号
- 東京地裁平成28年11月10日判決・平成26年(ワ)第12791号・判例タイムズ1450号226頁
- 不動産登記法23条4項1号
- 不動産登記規則72条
- 法務省「新不動産登記法Q&A」
- 松山地方法務局「不動産登記に関するよくある質問」
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